小 熊 座 佐藤鬼房句集  『名もなき日夜』
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    『名もなき日夜』抄 昭和12年〜25年(鬼房自選)
                        


    螺旋階登りつめゐて耳目冷ゆ

    むささびの夜がたりの父わが胸に

    金借りて冬本郷の坂くだる

    夕焼に遺書のつたなく死ににけり

    濛濛と数万の喋見つつ斃る
 
     濠北スンバワ島に於て敗戦
    吾のみの弔旗を胸に畑を打つ

    憂愁あり名もなき虫の夜を光り

    かまきりの貧しき天衣ひろげたり

    毛皮はぐ日中桜満開に

    切株があり愚直の斧があり

    松の花何せんと手をひらきたる

      30歳で死せる父の齢に達す
    のこされし二本の臑とたそがれと

    胸ふかく鶴は栖めりきKaO KaOと

    天刑や日夜名もなき北の声

    呼び名欲し吾が前に立つ夜の娼婦 





  
     
     北の男            西東三鬼

  極北の風はオホーツク海、千島、北海道を経て日本東北地方の
 あらゆる岩石を風化する。

  そこに一人の男(男以外の何物でもない男)が、極北の風の風
 化を避けるために、両の腕をもって左右の胴を打ち、両の足を交互
 にたたら踏んで、口からは蒸気のような白い息を無限に吐く。灰の

 ように微細、極小の吹雪が、忽ちその男を塗りつぶす。しかし、私は
 聞く、彼の左腕が打つ右の胴の音、右腕が打つ左の胴の音、ガリ
 バーの靴が踏む大地の音、洞穴のような口を出る息の音。そういう
 音が鬼房の俳句だ。

   戦争以前(昭13)彼は次のような句を成している。

    枯原の鉄材に日が倒れゆく

    金借りて冬本郷の坂下る

  現在の俳句水準から見れば、それを抜いているとは云えないが、
 十三年前にこういう句が既に成されているという事は、鬼房の資質を
 現わしている。

 戦争中の、一兵卒佐藤鬼房の俳句を見よう。


   会ひ別れ霙の闇の翌音追ふ         (六林男と会ふ)

   夕焼に遺書のつたなく死ににけり

   短夜を覚むれば同じ兵なりけり

   戦病の夜をこほろぎの影太し

   捕虜吾に牛の交るは暑くるし

   吾のみの弔旗を胸に畑を打つ

   生きて食ふ一粒の飯美しき

   灼けて不毛のまったゞなかの野に坐る

   大ひでり吾が前に馬歯をならす

   ひでり野にたやすく友を焼く炎

   水を得てふぐり洗へばなく夜蝉

   雨期長しクレオソートに胃ただれて


 これらの句の中には、独立句として戦争を感じ得ないものもあるが
 (そしてそれが欠点であるが) せっぱっまった兵隊は、再び祖国を

 踏むとも思わなかったであろうし、一句の独立性等という事を考える
 余裕もなかったに違ない。

  戦争後の彼は、我々と同じく、しばしば泥水の洪水に押し流されそう
 になる。

   猫下りて次第にくらくなる冬木

   寒流に落ちて羽毛のとどまらず

   かまきりの貧しき天衣ひろげたり

   向日葵の首より枯れて夜にたてり

   酷寒の松へ赤ん坊負うて寄る

   誕生日靴の重たきだけがある

   柴負うて街角まがる妻ならずや

  鬼房は彼の詩友達と遠く離れていて、極北の風と濁流に独り立つ。
 風化せず、押し流されず独り立つ。


  潮汲みの耳とがらせて断乎たり

 鬼房は貧窮の中に断乎として句を作れ。愚痴、泣言でなき俳句を作れ。

  毛皮はぐ日中桜満開に
 
 私は新興俳句生え抜きの作家に今日は鬼房あることを誇りとす。




 

   跋              鈴木六林男

  僕は、佐藤鬼房が僕の友人のなかに存在していることを大いにうれし
 く思っている。

  佐藤はかなしい人間である。
  『名もなき日夜』はかなしい句集である。

  佐藤は俳句というこの恵まれない分野において前途にたちはだかる
 多くの困難の承知ので正統な標識を押し進めてゆこうとする作家のひ
 とである。

  そして彼は三十歳になったばかりである。三十代はあらゆる意味に
 おいて最も複雑な世代であろう。

  この悪い条件のなかでする佐藤の仕事は俳句正統派としての言行で
 あった。

  新興俳句発生以来の歴史もさることながら、それにもまして佐藤の
 歴史は憂鬱な歴史であった。彼は僕の友人のなかでは年齢の若さに似
 ず多くの苦難の道を歩いてきている。

  幼少時の変転や戦争を契機とする青春の彷径や筈やの中で彼は生
 きるための烈しい戦を闘ってきている。彼の過去三十年は誠に不遇で
 あった。

  然し佐藤は如何なるときにも、こころのやさしさを失わぬ人間であった。

  いま『名もなき日夜』を通じて云えることは、彼は彼の過去を基盤として、すべ てを愛に帰結せしめていると云うことである。

  幼少時の逆境と、生死を晒してきた戦場生活の果てに身上として得た
 ものは愛であった。

  佐藤の集積からこのことを感得して僕は他に言葉をしらないのである。
 こと愛にふれてくると世に往行している多様な俳句論など問題でなくな
 ってくるのである。

  愛はかなしさであり、きびしきである。僕は最初、佐藤はかなしい人間
 であり、『名もなき日夜』はかなしい句集であると書いたのもそのためで
 ある。

  佐藤鬼房はこの句集をもって再出発を宣言したのである。

  俳句の骨格をよくわきまえた佐藤の俳句は正統であり、その論説も
 また正鵠を得ている。

  佐藤鬼房が新興俳句生抜きの作家であることを思い合せて、彼に対す
 る僕の期待は大きい。
      




       後記


  この句集のために種々助力をくださいました西東三鬼・高屋窓秋・
 三谷昭・高柳重信・芦立隆夫の諸氏並に「梟の会」の諸兄に深く感謝
 いたします。

  フランスでは昔から随分薄っぺらな詩集が出ており、最近は戦後の
 悪条件もありましょうが十二頁というのさえある由です。言い訳になり
 ましたが僕の句集もそのような形でしか出せませんでしたし、内容に到
 ってはまことに貧弱でこの点慚愧にたえません。

  集中、「哀しき鞭」は昭和十二・三年の作品、「虜愁記」前章の句は
 昭和十五・六年の作品、後車は敗戦後約一年間の作品よりそれぞれ
 抜きました。「沈む季節」と「名もなき日夜」は昭和二十二年以降二十
 五年まで約四年の間の作品で、制作年順は不同です。
   
          昭和二十六年三月二十日
                                 佐 藤 鬼 房


 


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